先ずは、当日のプログラムをよ~く見て下さい。決して「余興」程度の内容ではなく、曲の緩急など演奏会全体のバランスをよく考えた、実に堂々たる構成となっています。このプログラムは ハンス・ヨアヒム・シュミット氏のご厚意により掲載します。

文字が不鮮明なところを補いつつ、このプログラムの訳を下に示します。



Konzert in der großen Halle der
Mädchenschule zu Kurume
Mittwoch, den 3. Dez. 1919 10uhr
久留米にての女学校大ホールにおける演奏会
水曜日、3日、12月、1919年(ドイツ式の表記)10時
・・・実際の開演は14時だった・・・
1. a. Ouvertüre zu „Figaros Hochzeit““フィガロの結婚”序曲

b. 〃 〃 zu „Don Juan“ W. A. Mozart

“ドン・ファン(注)”序曲
ヴォルフガンク・アマデウス・モーツァルト
2. Cavatine für Violine ( Nack ) ヴァイオリン(独奏 ナック)の為のカヴァティーナ

und Orchester    J. Raff

及び オーケストラ    ヨアヒム・ラフ

3. II. Satz a.d. Sinfonie D.moll No.9 交響曲ニ短調 第九番 から 第二楽章

L. van Beethoven

ルートヴィッヒ・ファン・ベートーフェン

4. III. Satz a.d. Sinfonie D.moll No.9 交響曲ニ短調 第九番 から 第三楽章

L. van Beethoven

ルートヴィッヒ・ファン・ベートーフェン

5. Lied des Siegmund a.d. „Walküre““ヴァルキューレ”から ジークムントの歌

für Tenor ( Fr. Poebel ) u. Orchester

テノール(Fr. ペーベル)及びオーケストラ

R. Wagner

リヒャルト・ヴァーグナー

6. Ouvertüre „Leonore“ レオノーレ序曲

L. van Beethoven

ルートヴィッヒ・ファン・ベートーフェン

7. Einzug der Gäste in die Wartburg“タンホイザー”から ヴァルト城への客人の入場

aus „Tannhäuser“ R. Wagner

リヒャルト・ヴァーグナー

8. Hochzeitsmarsch aus “夏の夜の夢”から 結婚行進曲

„Sommernachtstraum“

F. Mendelssohn Bartholdy

フェーリクス・メンデルスゾーン・バルトルディ
9. a. Torgauer Marsch トルガウ行進曲(軍楽マーチ)

b. Prinz Eitel Friedr. Marsch

プリンツ(皇子) アイテル フリートリッヒ行進曲

L. Blankenburg

ルートヴィッヒ・ブランケンブルク

Leitung Frh. von Hertling und

指揮 フライヘア フォン ヘルトリンク 及び

Otto Lehmann

オットー・レーマン

(注)ドン・ファン(人名)とはスペイン語だが、モーツァルトのこの序曲は、現在ではドイツ語でも”ドン・ジョバンニ”と、イタリア語で言うのが普通である。

さて今までは、当日の演奏会の様子についてはエルンスト・クルーゲの日記(第一章参照)で知られていました。しかし先に述べましたように、この「日記」は実際は回想録であって細かいところが正確でない可能性があります。そんな時に偶然私がシュミットさんのホームページで見つけたのが、エーリッヒ・フィッシャーの日記でした。シュミットさんより翻訳の許可を頂きましたので、以下に、フィッシャーの日記の該当する部分を要約して示します。

エーリッヒ・フィッシャーの1919年12月4日(即ち、演奏会の翌日)の日記より

演奏会のことについては、皆の間で「久留米市内で演奏会をする話があるらしいぞ」という噂はあった。しかし、久留米第十八師団の本部がそんな事を許可する筈はないとも思っていた。けれども女学校の校長が師団長へ厳しい交渉をして、とうとうその演奏会が本当に実現して大変な感銘を受けたので日記に記しておく。

昨日午前11時ころ、40人で収容所を出て、12時に女学校に着いた。私はピアノの担当だったので学校のピアノと足踏みオルガンを使うのだが、皆の楽器は車で事前に運ばれていた。武藤校長によって控え室に案内されたら、生徒の整理箱をならべて白いテーブルクロスを掛けた急ごしらえのテーブルがあって、肘掛け椅子もならべてあった。そうして、女の先生たちがミルクと砂糖が入ったコーヒーとお皿に乗せたお菓子を配ってくれた。そのコーヒーは、少しコーヒー袋の味がしたが、お茶しか知らないはずの日本人がきちんとコーヒーでもてなしてくれたことには感心した。

コーヒーを飲みながら校長の挨拶があったが、その間にも、廊下を生徒たちが通り過ぎるときは、誰もかれもくすくす笑いながら我々に会釈してさっと駆けていくのには、少々照れ臭かった。そして建物の床は、見事に掃き出されぴかぴかに拭き上げてあった。勿論、我々も靴を脱いで上がったのは、言うまでもないことだ。

午後1時に、体育館で50人の生徒たちによる薙刀の演武を見せてもらったが、12月というのに皆裸足で、正確で見事な演技であった。そして薙刀の先生は、非常に機敏な女の先生を助手にしていたのだが、本物の薙刀と武士の妻が携帯していた懐剣を見せてくれた。その懐剣は、妻に関係を迫ろうとする者にとっては物騒なものだったろう。

午後2時に講堂へ入ったが、大勢の少女たちが期待に満ちた大きな瞳をして、粗末なベンチの上に行儀よく並んで座っていた。横の方には、妻や赤ん坊を連れた先生や女の先生たちも座っていた。

第一章の写真よりも、もっと演奏会の雰囲気が分かる写真
やはり女学校の"生徒さん達"は、幼い表情をした人が多い

この写真は ハンス・ヨアヒム・シュミット氏のホームページから、ご厚意により掲載。

フィッシャーの記述通り、講堂の窓際には、教師と思われる女性の姿が多い
幼児を連れた人の姿も
更によく見ると、引率した軍人か、詰襟の制服姿も

これら二枚の写真は チンタオ・ドイツ兵俘虜研究会のホームページから、ご厚意により掲載。

指揮者のヘルトリンク少尉がおじぎしたら、少女たちも同じようにおじぎした。"ドン・ファン序曲"の演奏を始めたら、不思議な音が鳴り響いたので、少女たちがパチパチと拍手してくれた。今まで我々は、収容所での演奏会の時には屈強な男たちによる鈍い拍手の音しか聞いたことがなかったので、その明るい拍手の音に大変感動した。そんなことに感動するなんて、我々のように五年もの間世間から隔離された生活を送ったことのない人間には分からないだろう。そうこうする内に、ベートーベンの交響曲第九番の二つの楽章になった。

(プログラムに記載されていないが)オットー・レーマンと私はベートーベンのピアノソナタ第一番の第一楽章を演奏した。この曲を再び演奏する時には、必ずこの演奏会の記憶が思い起こされるだろう。学校の方から、どうしても歌曲を一曲聴きたいという要望があったようなので、プログラム5番のヴァルキューレから"ジークムントの愛の歌"を歌ったフリッツ・ペーベルと組んで即席にシューベルトのセレナーデ"ひそやかに僕の歌は(注)"を演奏することになった。通訳の青山さんは、必要な時にはその都度黒板に、曲名などを日本語に訳して書いた。

(注)ドイツ語では、"Leise flehen meine Lieder"

プログラムの8番以降は私はすることがなかったので、控え室に戻ってタバコを吸っていたら、女の先生たちがまた新しいコーヒーとお菓子を用意していた。すると一人の先生が近寄ってきて、英語で"I thank you for to-day. We habe a verry happy time!"と小声で話し掛けてくれた。けれども、私がもっと話そうとしたら、さっと離れていった。恐らく、近くにいた巡査を怖がったのだ。巡査は、我々が行くところはどこであろうと、例え学校であろうがくっついて回るので、嫌がられ怖がられていた。

その内に演奏会が終わったが、先生が静かにするように言うまで、拍手は鳴り止まなかった。赤いほおをして少女たちが出てきた。控え室には、改めてお菓子や、別れと感謝の挨拶や、ドイツへの帰国が良い旅になるよう願いを書いた少女たちの署名入りの絵葉書があった。

午後4時になって、我々は帰営した。手を振る少女たちが「さようなら」と挨拶する中を・・・。